たそがれ清兵衛 映画 感想・レビュー ”たそがれ”というあだ名に隠れた剣豪の姿
2002年の作品であります。アマゾンプライムで見ることができます。 藤沢周平の作品は数多く映像化されていますが、この映画は私の最も好きな作品のひとつです。 作品の内容にふれているので、ネタバレに注意してください。 清兵衛は家族第一の侍である。平侍である。 “たそがれ“というあだ名は仕事が終わり、たそがれ時になるとそそくさとうちに帰っていく清兵衛のことを揶揄(やゆ)してついたあだ名である。 50石という扶持は貧乏といってよい石高のようだ。妻を病気で亡くし、二人の娘の成長を、貧乏をしながらも見守っていく姿は胸にグッとくるものがある。貧乏であっても娘の成長をそばで見届けることに特に幸せを感じるという。清兵衛は娘たちとの生活を不満には思っていないと口にする場面があります。 清貧という言葉があります。貧しいものは清いのです。 宮沢りえ演じる朋江と清兵衛の二人の娘との幸せな日々を描いていく場面はこの映画の重要な要素を表しています。 以前にNHKの「文豪ファミリア」という番組で、藤沢周平を取り上げていました。 藤沢周平(本名 小菅留治)の、奥さんは娘を生んでから、8ヶ月で亡くなっています。 業界新聞のサラリーマンであった留治は小説の中の清兵衛と同じ様に家事と仕事と両方をこなしていたそうです。「たそがれ清兵衛」はそんな留治の実体験から生まれた小説であるそうです。 清兵衛には戸田流の遣い手という、もう一つの顔がある。それは朋江の元夫の甲田との果たし合いで真剣の相手を棍棒で倒してしまうほどの腕である。 その腕は広く知られることになり、それにより、籠城した藩士、余吾善右門の追手として藩命がくだることになる。 田中泯の演じる籠城した藩士の余呉全右衛門が凄みがある。娘の骨壷から遺骨を取り出し、ポリポリかじるシーンなど追い詰められて、鬼と化した姿を見事に描いている。清兵衛に逃がしてくれと懇願し、清兵衛も話していくうちに相手の要求通りにしようと思う。しかし、清兵衛の刀が竹光であることを知ると、一転して清兵衛に刃を向ける。殺陣のシーンは迫力満点である。討ち果たされて「暗い」といって、舞うように倒れ伏すシーンは舞踊家である田中泯の指先まで神経を使った名シーンであると思う。 俳優陣も充実しており、名作であると思います。