「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年」 村上春樹 の感想・読後レビュー 共同体から切り離された個人の苦しみ
村上春樹が、ベストセラー長編小説「1Q84」の後に出版した13作目の長編小説になります。
理想的な共同体である、高校からの5人グループから、突然放り出された田崎つくるが、なぜそのようなことになったのかの真の理由を求めてそのメンバーのもとを巡り歩く物語です。
現代の人間が、それ以前の共同体的なものから切り離され、自立した個人を確立していく過程の苦悩を象徴しているものと思います。
このテーマは明治以降、夏目漱石の文学にも出てくる日本では普遍的なものであります。
この後の著述にはネタバレに関する内容を含んでいますので、注意してください。
容貌が変わるほどの苦しみ
田崎つくるは高校時代からの5人組と深く完璧な人間関係を築いていました。
つくる(作)以外の4人には、それぞれ色彩に対応する名前が付いていました。そして、5人の中には、それぞれの役割が付いていました。
青海悦夫(ミスターブルー)=脳天気なスポーツマン
赤松 慶(ミスターレッド)=インテリ
白根柚木(ミスホワイト)=可憐な乙女
黒埜恵理(ミスブラック)=コメディアン
色彩を持たない田崎つくるはハンサムボーイです。
つくるは突然そのグループから絶縁を言い渡されます。”まるで航行している船の甲板から、突然一人で夜の海に放り出されたみたい”に。
そのことで深く傷ついたつくるは、死について、自分を消滅させることについて真剣に思うようになりました。
その結果、つくるは体つきも顔つきも、まったく別人と思えるぐらいに変わってしまいます。
それは、ガンなどを宣告され、闘病の末にやせ衰えた姿で出てくる有名人を思い起こさせました。ある俳優がガンで死ぬ前にインタビューに応じていた姿はまさに容貌が変わってしまったという表現があてはまります。
5人と名古屋
彼ら5人は名古屋で生まれ育っています。その完璧なグループは名古屋市の郊外にある公立高校で作られました。
そのように閉じたグループで、仲間内で仲良く青春を送るという場所として、名古屋はふさわしい場所であったのでしょう。
名古屋は、”心地よい温もり”のあるところで、経済も、文化もほぼ名古屋圏で完結することができます。
村上春樹は”村上さんのところ”の中で
「この本を書いている間、あたかも自分が名古屋出身者であるかのような気持ちになっていました。ー中略ー僕もあの小説を書いているあいだは『一人の名古屋市民』だったかもしれません」
と述懐しています。
名古屋人である私にとって、アオやアカの名古屋に対して述べている言葉はとても共感できるものでした。
リストの『巡礼の年』
この小説の中で、何度もクラシックのリストのピアノ曲、『巡礼の年』第1年スイス 第8曲「ル・マル・デュ・ペイ」(ノスタルジア)が登場します。
ラザール・ベルマンの演奏するこの曲は amazon music で聞くことが出来ます。私も聞いてみました。
私は、クラシックをわりとよく聞く方ですが、この曲はまったく一般的でありません。
静かな曲で、曲の印象を語ろうと思うと難しいものがあります。
何度も聴き込まないと、その良さがわからないのでしょう。
私にはまだよくわかりません。
この選曲に村上春樹の音楽への造詣の深さを感じます。
この曲は、もう会うことのないシロと、会うことのないであろう灰田とつくるを結びつける曲です。
つくるが自分が負った心の傷の真の理由を求めて巡り歩くことを巡礼に喩えているのでしょう。
フィンランド
つくるの旅は、クロの元を訪ねて、フィンランドまで行きつきます。
フィンランドの描写は具体的で、紀行文としてもすぐれており、とても叙情的なものです。
クロによって、本当の真実がわかってきます。
駅
つくるは駅を作ることに子供のころから興味を持ち、その職業につきます。
彼の大学時代の友人の灰田はこう述べています。
「限定して興味を持てる対象がこの人生でひとつでも見つかれば、それはもう立派な達成じゃないですか」と。
まさに、つくるはそういう面では成功していると思います。
つくるが新宿駅やヘルシンキの駅を眺める姿は鉄道マニアそのものです。
鉄道好きには興味をひかれる場面です。
シロについて
ユズ(シロ)は物語の中では回想の場面か他のメンバーの言葉の中にしか出てきません。
シロは、つくるが5人組のグループから”切られる”きっかけになりました。
6本目の指の話
電車の駅長室でホルマリン漬けされた6本目の指の話が出てきます。それは、強固な結束でつながった5人組から切り離されたつくるのことを暗喩しているのだと感じました。
まとめ
村上春樹の長編小説はSF的な空想上の物語の要素が少しですが入っていました。「1Q86」などはほとんどSF的な話ですし、「騎士団長殺し」の騎士団長は実体を持たない存在でした。
それに対して「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年」は、全編に渡って現実の話をベースに語られています。(つくるの性夢の話や、緑川の話は現実離れをしているところがありますが、跳躍することはありませんでした)
現実ベースの話であることが、村上春樹の他の最近の長編小説より、共感できる面を多く持っていると思います。
つくるは、真実を求める過程を通して、自分の身体の中心近くに冷たく硬いものがあることに気づきます。その冷ややかな芯を少しずつ溶かしていくために他の誰かの温かみを必要としていることを深く感じます。
それまで、目をそらしてきた事をあからさまにすることにより、より強く恋人を求めるようになり、小説は終わります。
一体として活動していた友人以上の5人グループから、なんの説明もなく切られてしまったことに対する真実を探す過程を通して、つくるは浄化されたのだと思います。
それが”彼の巡礼の年”なのでしょう。
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